踊るあほうのブログ

同じ阿呆なら踊らにゃ損

東京心覚とか最近の刀ミュに感じてたこといろいろ



東京心覚を初日、3/14と観てやりたいことはなんとなくわかるんだけど私には響かなかった、Not for meだったなって話。
本当にただのオタクのお気持ち表明なので見なくていいです。書いて発散したいだけなので。
※ネタバレ配慮してないし、なぜかエヴァの事も話してる。







今回いつもの6振編成から8振になったことで色々不安はあったんだけど、さすがみんな経験値があるから下手じゃないし、キャストの解釈や心情の動きがすごくよかった。
何より冒頭刀剣乱舞でみんなステージの高台から盆が回っていく演出は歴代刀剣乱舞の中で一番かっこいい。盆*1好きだからね、贔屓しちゃうよ。
今公演の推しは個人的には五月雨江なんだけど顔が綺麗でぎこちない動きがギャップがあっていちいちかわいい。
照れたときとか困ったときに襟で顔隠したり、足を揃えて座ったり上げた掌がまっすぐでぎこちないのが本当にかわいい!!
歩くときの姿勢がとてもよかったり、歌を詠む教養や上品さがありながらも第3形態の衣装がめちゃくちゃけしからんかった。
月とか海や川とか、歴史を比喩的にとらえるの好きですね、そういうのオタク大好きだよ。
今回はそれに花も加わった感じかな。歴史はその時代に勝ち残ったものもの、例えるなら実った野菜や果実とするなら負けたものは花なんだね、
実を結ぶことはなくても花は確かに咲いた、それがなかったことにはならないっていうメッセージかな。
あと水心子の一人舞台はメタととらえていいんだよね??


今回ステージングが新之助さんではなく音楽も今までとテイストが違うので多少違和感や好みはあるけれど、長年やってるとマンネリに陥るし制作側から今後も刀剣乱舞、刀ミュを今後も続く長期コンテンツとして売っていこうという感じはするのでこの5周年という区切りで手札を増やしたり色々と味を変えていくのはありなのかなとも思った。
刀ミュの初めから続けてきた路線は2018年の真剣乱舞祭で最高到達点は迎えていると思ったので。。。


刀ミュが2.5次元という枠を越えていこうとしている、というのは過去のインタビューやらコメントやら作風やらで感じていて、やりたいことは分かるんだけど見る度に思うのが2.5次元の枠を越えようとしているなら、なんで過去作未履修者を置いてきぼりにするんだろうな?
葵咲本紀は辛うじてまあ理解できるか、というレベルだったけど東京心覚はマジで過去作の三日月の知識がなければ意味不明では。
今回初めての子を14日観劇に連れていく予定でいたので初日を1人で観たあとこれどうやって説明する?前程知識入れておいた方がいいのかと思ったもん。。。

私は考察や前知識は必須条件ではなく作品に対して解像度を上げる必要条件でしかないと思っているので、例え2.5次元が元々のファンを対象としたものであっても前作を観ないと理解できないのは舞台としてどうかと思ってしまった。
2.5次元が演劇の中で別離している、閉鎖的なのはクオリティとかは置いておいて、一つに原作・過去作の知識を必要とすることだと思います。

そして何より「原作(過去作)を知っているとより楽しめる」と「原作(過去作)を知らなければよく分からない」には雲泥の差がある。
刀ステを直前に観たせいか余計に思っちゃった、刀ステはちゃんと前者だったよ。

2.5次元舞台でスポーツものが重宝され多く量産されるのは話が分かりやすくて便利だからなのかな。
特にテニミュとか敵対関係や勝敗がはっきりしてて基本一試合完結なので原作知識とかなくても戦って勝ち負けが決まるんだなってわかるもんな。


あと量産される2.5次元の舞台でよくあるのが、原作丸々コピーで別にこれ舞台でやらなくてもいいんじゃない?喜ぶのは原作ファンだけじゃない?
結局それだと今のファン層以外に広がりはないんじゃない?と思うような舞台なんですが、形態は違うけれど今回の刀ミュと何が違うんだろう?
過去作や原作の知識を前提としてる限り2.5次元2.5次元のままだと思ってしまった。

こんだけ手軽に楽しめる娯楽が溢れる世の中で、前程知識必要です。理解したいなら過去作見てください(全●作、各公演時間2時間超)。残っている舞台映像はあくまで映像であり生の舞台を再び見れる機会はありません(再演を除く)。チケット代は1万円です。

ってそれはエンタメとして生き残っていけるのか、、、
本当に誰目線だって話だけどめちゃくちゃ心配になってしまった。
演劇とは、刀ミュとはそういうもの、ついていけないなら見なくていいというならああそうなんですが、なんですけど。

映画も続編ものあるけどちゃんとした続編は前作見てなくても理解できる要素が散りばめりていて知らなくてもちゃんと面白いし(もちろんちゃんとしてない続編もある)、何より映像だから前作がそのままの形で見れるんだよね。
舞台はどう御託を並べても劇場で観るものが完全体なので、そう考えると舞台の入り方ってめっちゃ難しい!!


まあそれだけだったら私は知ってるし楽しいしいいか~みたいになれたんだけど一番心が折れたのが、こんな刀ミュとして挑戦的なことしてるのに、なんで冒頭の30分*2をよくある2.5次元方式のキャラ紹介とキャラ付けのために各キャラ1曲歌わせとくか〜みたいに使ったの?なんであそこだけ2.5次元バリバリに出してくるんだ。

そもそもミュージカルを名乗るなら歌と芝居と台詞の境目を自然にしてほしいし、初日はミュージカルが嫌いな人が言う「突然歌が始まるのが不自然」っていうの地でいってたよ。
2回目は自分が慣れたのか回を重ねてよくなったのか違和感は減ったけど。これキャストや脚本のせいとかではなく構成・演出の問題では。
そんなことを観劇中考えてて一幕は「何がしたいんだろう」ってずっーと頭の中で思ってた。

あと今回の東京心覚からは少しズレるけどパライソから薄々感じていて幕末再演で決定的だったのがアンサンブルや音楽の使い方がグランドミュージカルに寄ってきたのかと思うところが多く、歌わせること増えたしストリングスが入った壮大なナンバー全員で歌わせるとか。

個人的にミュージカルだからと言って全員が歌う必要ないしオリジナル演目なんだから歌える人は歌えばいいし演技、ダンスがいい人はそれを魅せればいい。
画一的な型にはめなくてももっと適材適所に出来たんじゃない?
双騎でその可能性の片鱗を見せてくれてそれに今まではそれが比較的出来ていたじゃん。

2.5次元2.5次元の良さがあると思ってるし、どれだけ寄ってもそれは『っぽいもの』でしかなくて、そもそもグランドミュージカルが観たいなら東宝とか海外招致に行くし......
そもそも2.5次元のキャスティングは歌や実力よりもいかにキャラクターに似ているか、要素を持っているかが比較的重視される中で厳しいところがあるよ。(グランドミュージカルが優れてるとかそういう話ではなく)

でも東京心覚のラスト付近、出演者総出演のメロディーが重なってのフィナーレ、重奏&紙吹雪はめっちゃあがったので、キャストの実力×曲×演出がぴったりとハマればめっちゃよくなるので幕末再演のあれは本当に惜しいと思ってしまった。
めっちゃ小池修一郎演出の一本ものにありがちな一幕の終わりの演出に似てたのは置いておいて。*3
あれはあれで美しい演出の型の一つ。



東京心覚の一幕見た後のこの感情、めっちゃ既視感あるなと思ったら新劇エヴァのQ見た時の感覚でした。
その時も結局は前作の破が好きで同じものを期待して行ったらぜんぜん違くてハァ?ってなったので結局は『自分が期待していた刀ミュじゃなかった為の身勝手な愚痴』ですね。

主語を大きくすると怒られますが初日は小劇場作品とか歴史・考察好きな人はすごくはまるのかな。と思っていたけど東京心覚は刀ミュのどこが好きなのか、何に魅力を感じていたのかその種類によって評価が分かれるような気がする。
私がテニミュ生まれ宝塚育ちというガチガチなスター制度、エンタメに全振りした舞台で生きてたせいも絶対にある。



余談
これの下書きを大まかに書いた後に新劇のシンエヴァを見てきてそれまでエヴァQに感じた感情に落とし前をつけることが出来たし、初日より2回目の方が受け入れられたので今の自分にはNot for meでもいつかこの舞台の意味や意義を理解出来る時が来たり大好きな作品の1つなることもあるのかなとふと思った。

それが凱旋公演なのか数年後なのか、刀ミュが終わる時なのか(そもそも刀ミュはちゃんと終わってくれるのか)は知らんけど。


ってそういうことを言うと複数回観ないと消化できない舞台って?それを前提に作るなよ、とかもう一人の私が言ってくるんだけどさ。

*1:回転する舞台機構

*2:体感なのでもっと短いかも、めっちゃ長く感じた

*3:連れて行った友人も言ってた